今日でこそ日本でもアメコミ映画も立派なエンターテイメントとしてヒットしつつありますが、当時の日本ではマイナージャンル、アメコミ映画は一般人からも映画ファンからも見下されてました。
そうなると俳優や映画の細かい情報は英語でしか出回らないので、ファン同士で翻訳しあったり、欧米や他国のファンと情報交換する人も現れたり、いやぁ懐かしいなー。一番英語を勉強していた時期でした。
アメコミを知るようになって一番驚いたのは、アメリカでは「コミックの著作権は出版社が持つ」というところ。だからひとつの作品でも色んな作者バージョンが存在します。
例えて言うなら、鳥山明のワンピースや、宮崎駿のドラゴンボール、赤塚不二夫のナルトといった感じです。
カオス・・・!!!!
日本じゃ考えられません。
日本のコミケにあたるコミックコン(comic con)では、公式がフツーに参加して映画化の会見開いたり、「ファンメイド」いわゆる日本の「二次創作」が公式の前で堂々と行われています。
「私バージョンの」バッドマンやスーパーマンがあってもいいじゃない。むしろ素晴らしいアートは堂々みんなの前で誇ればいいじゃない!といったような、すごくオープンなんですよね。
日本は違います。
マンガの著作権は作者のもの。だから二次創作はひっそり陰に隠れて行うもの、という暗黙のルールが存在します。
最近はコミケの動員数がハンパなく、小林幸子が参加したりケータイ会社が参入したりと、オープンになってきてはいますが、やっぱり創作物そのものはひっそりと作者からは隠れて行うもの、なんですよね。
それがインターネットのおかげで、カルチャーギャップの問題を引き起こしています。
ネット上にアップされた日本人のマンガの二次創作物が、「素晴らしい‼みんな見てみて!」と、欧米人の手で公共の場にさらされるという・・・。ひぃぃ;
欧米人本人たちに悪気はないんですが、日本人からすると「隠れてするものだから!作者に見つかったら困るから!」
でも「あなたのナルトは素晴らしいからみんなに広めて誇るべき!」というもう全然通じないこともあるわけです。
「ネットにあげてるんだからいいでしょ」とか。そういうことではないのだよ・・・。
「Comic」は、バッドマンやスーパーマン、Xメンなど、メインキャラクターを様々な人々が自由に表現するもの。
「Manga」は、作者が語る物語。二次創作はファンがこっそり作る妄想の産物であって、物語の領域を侵してはいけないもの。
もう根本から違ってるから通じないんじゃないかなぁ。
「グローバルな時代だから、日本の二次創作物は海外のやり方を受け入れていくべき!」ってダンナは言うけれど、奥付が本の最後に載ってる頃を知ってる世代としては、「いや、そんな押し付けんなよ・・・放っておいてやれよ・・・」と、ありがた迷惑以外なんでもないです。
でも世代は変わっていくのかな・・・いや、全っ然想像つかないあたり、私はもう古い世代なのかしらん。
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