2010年10月27日水曜日

海外にいて想う、家族のこと

先日、父方の祖母が亡くなりました。
この先、暗い話題になるので、一応隠しで。




父方の祖母はちょっとした資産家だったのですが、約20年前、バブルの崩壊と同時にマネーゲームに失敗し、膨大な借金を残したまま、突然失踪しました。

当時は親戚一同、祖母の借金の取立てにあって職を失ったり、連絡が取れなくなったり、家庭がめちゃめちゃになったりと、かなりの騒動がありました。
私の両親もそのために離婚し、我が家がぎくしゃくし始めたのも、その頃からでした。

父の兄弟の間でも、失踪した祖母に関して擁護する側と非難する側で諍いが絶えず、いがみ合い、憎み合い、ひどいものでした。
父は数少ない祖母の擁護側で、離婚後、数年して祖母を見つけたときは、兄弟たちとは一切連絡を絶ち、こっそり世話をしていたそうです。

何度か祖母のことを父に尋ねたのですが、話が漏れることを怖れたのか、何も話してくれませんでした。

数年前、従兄弟の結婚式に呼ばれて、親戚の何人かに祖母のことをそれとなく聞いても、「あんたは名古屋におったから知らんやろうけど、みんなしんどい思いして、なんとか乗り越えたんや。その話はすな(するな)」と、みんな腫れ物に触るような、複雑な表情を浮かべていました。

そういったこともあり、父方の親戚とは自然と疎遠になり、くさいものにフタをするように、祖母のことは誰も何も話さなくなっていったのです。


メキシコへ来る前、せめて一目会いたいと父にお願いしたのですが、「今でもばあちゃんは素性を隠してんねん。それに今は入院してて、もう誰も何もわからんのや。わかっても、ばあちゃんが辛いだけやから、やめとけ」と、結局会えずじまいでした。

そして、最後にいつ、祖母に会ったのか思い出せないまま、彼女は帰らぬ人となりました。


お葬式には親戚一同集まったようで、父は詳しくは話してくれませんでしたが、「いろいろあったけれど、また兄弟たちと上手くやっていきたい」とメールをくれました。

10人の子どもたちと、20人以上の孫に囲まれながら、最後はひっそりと寂しく余生を過ごした祖母。

大勢の孫の中でも、彼女が一番可愛がっていたのは私だったそうです。
人数が多すぎて、孫たちの面倒はほとんどみていなかったそうですが、私の母が彼女の店を手伝っていたため、その間は赤ん坊だった私を連れて、よくパチンコに行っていたそうです。
小学生になっても、祖母の家を訪れるたびに「これいるか?」と、パチンコの景品のお菓子を大量に持ってきてくれたのを、今でも覚えています。


お葬式が、祖母に会える最後のチャンスだったのに。

せめて、さくらを祖母の腕に抱かせたかった。
私は幸せだと、恨んでいないと、伝えたかった。

こうして海外にいると、すぐに帰れないのがもどかしいです。
来年の夏には日本で新生活を始めるつもりですが、彼にも同じことが起こるかと思うと、また、その後メキシコに戻ることになったら、私にも同じことが起こるかと思うと、とても辛い。

一度はバラバラになった私の家族だけれど、それでもやっぱり、年月をかけて戻ったものだから。
国籍が違う以上、これは仕方のないこと。

今回の祖母の死は、海外に住むということを考えさせられるものでした。
祖母には、もう苦しむことなく、安らかに眠ってほしいと思います。

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